最近「バリア・フリー」という言葉をよく聞く。「障害や障壁が無いこと」つまり、身障者や老人などの弱者の人々にとって「やさしい」建物や街づくりを目指して、段差やスロープの勾配、手すりや点字ブロックの設置基準を細かく決め、公共的な建物の出入口や廊下やトイレの他、道路や公園や駅などの施設で義務づけられている。それは、「ハートビル法」と「福祉の街づくり条例」などによって規定されている。高齢化社会になりつつある現在、この「バリア・フリー」は人々の関心も高く、一般の住宅でも、段差を無くし、手すりを付ける事や時にはホームエレベーターの設置などが始まりつつある。

私たちも今、「沖縄県総合福祉センター」という県の大きな公共施設と「豊里邸」という小さな一人住まいの身障者の女性の住宅を設計し建設中である。どちらの建物も「バリア・フリー」を基本に考え、様々な工夫を設計に盛り込んだ建物である。しかし、どちらの建物も残念ながら敷地は狭く密集地に建つため平屋や低層ではない。限られた敷地に必要な室内面積を確保する為に、エレベーターを採用しながらも細部まで配慮した建物である。この設計過程でわかったことは、「ハートビル法」や「福祉の街づくり条例」に規定された「バリア・フリー」は、“必要条件であって十分条件ではない”ことである。つまり、段差無しや手すりの設置やエレベーターなどの物理的な事は当然の事であって、もっと大切なことは身障者や高齢者の方々とその他の人との間にあった見えない精神的な障害や壁を無くし、同一の社会や施設の中で互いに支え合い生きてゆくことこそが、「バリア・フリーの精神」のもっとも大切なところである。

だから、総合福祉センターでは敷地全体を地域住民に開かれた公園のような公共スペースとし、建物に囲まれた中央部分に大きな屋根の架かった半戸外の「結の広場」と呼ばれる広い多目的広場(ピロティを含めると80m×42m=3360㎡)をつくり、福祉関係の様々な催し物や集まりに対応できる地域に開かれた交流のスペースとなっている。その周囲には外廊下に面したガラス張の開かれた事務室や研修室などの諸室がとり囲んでいる。5機あるエレベーターもガラス張で、「見えること」をすべての基本にしている。「福祉」という名の保護や援助を授ける単なる「箱」ではなく、すべての人が支え合う福祉社会や環境としての人の集まる「場」をつくる事を試みた。

住宅も、一人暮らしのための段差のない単なるバリア・フリーの家ではない。この家の中心は楕円形の広いリビングホールで、吹抜と緩やかならせん階段があり、6mの高い天井にはトップライトもある。感動と夢の建築空間である。将来、身障者の家主はここで、喫茶店を営むことを計画中である。友人や知人、そして、多くのお客がめずらしい建築空間と家主との楽しい語らいや癒しを求めて訪れるだろう。そしてさびしく一人暮らしを続けてきた65歳のハンディキャップを背負った家主は、新たな第二の人生を歩み出すことになる。

今、多くの公共施設や街で、「ハートビル法」に基づいて「バリア・フリー」の作業がなされている。建物の出入口には車椅子用のスロープや盲人用の点字ブロックや音声誘導装置、そして、手すりなど様々の装置が設置されている。歩道には黄色の点字ブロックの黄色いラインも増えている。ところが、福祉先進国の欧米に行ってもそれらを見かけることは少ない。建設当初から「バリア・フリー」を考慮し、当然の事として配慮されているからだ。そして、身障者や高齢者などの弱者の人々に対して建物内でも街角でも快く手助けしている姿をよく見かける。ドアを通り抜ける際に次の人のためにドアを開けて待っていてくれるように誰もが周囲の人々に心配りをしているのである。

様々な「バリア・フリーの装置」も大切である。しかし、もっとも大切なのは「バリア・フリーの精神」である。沖縄には昔から「ゆいまーる」という精神のもとで、お互いを認め助け合う習慣がある。毎朝NHKの朝連続ドラマ「ちゅらさん」を見ている。日本本土と沖縄の習慣や文化が対比的に映し出されている。見ていて楽しい。自然の豊かな小浜島の赤瓦木造の住宅に生れ、ちゃぶ台と縁側のある那覇の木造の家で家族と共に育った恵理が、生来の明るさと世話好きから、一風館という下宿屋をグループハウスに変え、ゆがふという居酒屋に沖縄を再現し、勤め先の病院の患者まで巻きこんで「沖縄化」してゆく。周囲を支え合い、ぬくもりのあるものに変えていく姿はまさに「ゆいまーるの精神」である。現在忘れてしまいそうな大切なものを沖縄のオバーが恵理をつかって伝えようとしているようだ。

住宅も公共施設も街も、もっとお互いが支え合いぬくもりのあるものにしてゆくべきだ。小浜島や恵理の家のように東京から来た文也君たち家族を、あたたかく迎えられるような沖縄の建物や街に再生しなければならない。